#作家になった流れ というタグがXで流行っているみたいなので、
Xの文字数制限では書けないところを補足してみようと思います。
私には、183㎝の大きな年子の弟がいますが、彼はかなりの車大好き少年でした。
それに比べて私は人型というか、ロボットやヒーロー、キャラクターに興味を持っている少年でした。
あまり玩具を購入してくれない家庭だったので、玩具もゲーム機も持っていない幼少期を過ごします。
なぜか、12インチのGI JOEが一体だけ家にあって、可動が大好きになる原因になっていると思います。
親戚の叔父さんが訪ねてきた際に買ってくれるガンプラや
近所の住宅地開発のために山を切り崩して建ち始めていた住宅地へ自転車で行き、
大工さんが飲み干して捨てたコーラやファンタやお酒の一升瓶などのビン類を酒店へ持ち込んで換金して、
キン肉マン消しゴムをガシャガシャして集めるという手法で少しではありましたが玩具を持っていました。
ひごもっこす(熊本の頑固者の異名)の父親の逆鱗に触れ、持っている玩具をすべて庭に持ってくるように言われ
恐る恐る持っていくと目の前で玩具全て焼かれるということがあり、たしか中学1年くらいの時でした。
映画館で買ったE.T.のフィギュアやスターウォーズのバイカースカウトのケナーのフィギュア、キン消しなどがどろどろに溶けて
ダイオキシンをまき散らしたあの日。
どうやら逆鱗に触れたのは弟の方だったらしく、私は巻き添えで玩具を焼かれたことが数十年経って知らされました。
でもあの当時は父親は電機会社の成績が悪くなった事業所に送られて立て直すというとんでもなくストレスのかかる
仕事をこなしていたらしく、自宅へ帰ってきても虫の居所が悪い日も多く、父がルール的な家でもあったので
絶対王政じゃないですけど、父親が絶対的な環境だったので、何かしら私もしでかしていたのだと思っています。
目の前で玩具を焼かれた以後、父親より玩具購入禁止令発令されることになります。
一切玩具を購入することが出来なくなってしまったので、
その当時、福岡の中洲にあった玉屋というデパートの玩具売り場の超合金ディフォルメ仮面ライダー
ボンボンライダー
を目コピで覚え(今でいう自前3Dスキャン)自宅に帰って紙粘土で仮面ライダーを作るという日々を過ごしていました。
※パッケージから出したものを展示していたような記憶があります。
パッケージのままだと正面写真しか載っていないので、全身をスキャンすることが出来なかったはずなので。
あの当時、ネットも何もない時代だったので、ホビージャパンやB-CLUBなどの高い雑誌を購入したりして
紙粘土で仮面ライダー作り出す。
美術系高校入学をしたいと父に話すと、銭湯の壁の富士山を描く仕事につくのか?とNGをくらい、
そのショックもあり、高校受験をしくじりまくります。
何とか入った高校は、初めに行きたかったデザイン科がある高校で、普通科に入学。
美術の時間はデザイン科から先生がやってくるために、美術の時間が待ち遠しくてたまらなかった記憶。
デザイン科の先生に見いだされて、デザイン系の大学進学を進められると同時に
デッサンを習いにデザイン棟に通うことを許される。
見よう見まねでデッサンを行い、夏の美大受験ようの画塾へ通いデッサンに磨きをかける。
高校入学から3年、美術系大学進学したいと父に話すと
三年間もぶれずに美術系に行きたいということは本気なんだなとOKをもらう。
普通科からデザイン科の大学に推薦入学。大学に入ると4年間ほぼ遅刻も欠席もせずに通いつめる。
友達はコンパだの飲みだの行ってましたが、一切行かず。
3年生の時には、4年間で取らないといけない単位をほぼ取っていて、
四年生の時は卒業制作とあと一教科しかでなくて良い状態で、週に1度大学へ通う。
イラストレーションの授業を受け持っていた外部からの先生の勧めもあって、二科展に出品などもしていました。
バブル時期も相まって、某有名ゲーム会社のデザインで運よく就職を果たす。
10年ほど働いた時に眼精疲労からくる頭痛に悩まされ、
医者に診てもらうとモニターを見る仕事禁止ードクターストップということで退社。
長男が産まれたばかりのタイミングだったこともあり、あまり無理もできないとのことだったので、
奥さんに1年間の活動資金を与えてもらい、芽が出なければ、コンビニで働く、
芽が出たら作家業をやっていくという許しがでて死に物狂いで活動を始める。
車も持っていなかった時代、台車を引いて、早朝からビックサイトに出向き、
デザインフェスタに参加。オリジナルキャラクターの人形を
フル彩色版レジン製で1500円で200体販売していました。
あの当時のフィギュアを手元に持たれている方、まだいらっしゃるでしょうか?
何度かデザフェスに参加していたら、運よくとなりの会場でおもちゃショーが開催されていて、
運よく若手のアーティストを探している香港の
ARTTOYメーカーに声をかけてもらい、ARTTOYの第一波の最後の方の波に乗る。
ナックルベアのソフビはアジア圏では偽物が出るくらいの人気キャラに。
フリーになって数年後の2005年に法人化 有限会社TOUMARTを設立。
現在に至る。
こんな感じかなー